ときわ会について
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前会長のお言葉
岡山大学では、平成15年3月に、長年のときわ会員の念願であった4年制大学の看護教育の卒業生を送り出すことができました。また、4月には大学院修士課程の学生を受け入れることができました。卒業生のうちときわ会に入会したのは卒業生の約半数です。この入会率は過去最低です。このわけは、当の卒業生にとって、卒業に際しての別れやこれからのことの心配で胸が一杯なのでしょう。また、送り出す教師らはときわ会への愛着心が薄いからでしょう。とにかく新入会者を大切にしたい。同窓会をいかに意義有らしめるのか考える必要があります。
岡山大学が看護婦養成82年の歴史を持つわりには、看護大学化は遅い出発です。開設に至るまで、法制面や教科面の情報収集、教授陣の人事、先発大学の経験の学びなど阿部寿満子会長を始め多くの同窓会員の献身がありました。その一部を本誌に収めました。
今日の大学の状況は諸改革潮流の中、大学組織も個人としても業績と成果を問われ、成果がなければ存続は保証されません。単に卒業生を出すことに意義があるのではなく、卒業生が生涯に亘って研鑽を積み、社会に貢献できる人材を育成することです。従って、大学の同窓会も新しい時代に即応した新しい在り方を確立していく必要があります。学歴社会や学閥の弊害を問題にされることはありますが、歴然と隠然とした力があるのがこの社会です。人間は国家・地域・民族・人種・宗教・先祖・家族・職場・職業などに属することで安心と誇りを持っています。集団に帰属することは人間の本性です。
選挙や官庁の異動情報に個人を紹介して、出身地ではなく半世紀以上前でも4年間在籍した大学名を掲載しているのが通例です。このことは、出身大学が卒業後いかに大きく影響したかを知らしめています。
ノーベル賞の田中さんが、賞が決まった途端に東北大学では早速卒業生名簿を繰って、対応にあたふたしていたようです。同窓生の名誉は誇らしい。その反対は恥ずかしい。岡山大学の学生が岡山大学で看護学を学ぶことを誇りにし、卒業後も母校の教師や同窓生を目標に精進することを望みます。学風と薫陶の効が仕事や日常生活までも滲みでるためには4年間だけでは足りません。その後の個人の自信と向上心が決め手でしょう。看護を職能養成ではなく、大学教育に組み入れたのは人間性の育成が第一の目的だから、その環境要因の一部として同窓会は貢献できます。
同窓会員としては、岡山大学の看護教育に対して情報公開を求めたり、情報提供して愛情のある、厳正な評価を返して教育に参加し、また、卒業生個人にも継続して関係を続けることが大切だと思います。同窓会というのは、過去を懐かしみ美化する老人の暇つぶしの会ではありません。また、先輩と後輩の情実で権益を囲い込むことでは勿論ありません。真に質の高い人間の育成を目指した、あるべき同窓会としては、厳しい監視装置で有って良い。
「看護大学が多すぎる」、「入学者が定員割れした」、「こんな大学は要らない」などと言われては絶対に嫌です。
品性の高い、「さずが大卒看護師」、「さすが岡大」と世間の声が聞こえる日が待ちどうしい。そのために相当な奨学資金等の経済的支援も条件です。
このような期待を込めて、この会誌の臨時号を発刊する運びとなりました。会員各位の益々の母校と会員相互の御関与を期待しています。
会長 富田幾枝
(平成15年5月27日発行 会誌臨時増刊号「発刊のことば」より)