ときわ会について
現在地:ときわ会トップ > ときわ会について page2
ときわ会の歴史
大正10年4月(1921年) 岡山衛生会産婆看護婦養成科開設
大正11年4月(1922年)
岡山医学専門学校附属医院産婆看護婦養成科と改称
昭和20年4月(1945年) 岡山医科大学附属厚生女学部と改称
昭和23年6月(1948年) 厚生女学部に甲種看護婦養成を併設
昭和24年12月(1949年) 岡山大学岡山医科大学附属厚生女学部と改称
昭和26年4月(1951年) 岡山大学医学部看護学校と改称
昭和61年10月1日(1986年)
岡山大学医療技術短期大学部看護学科と改組昇格(至 平成12年)
平成10年10月1日(1998年) 岡山大学医学部保健学科看護学専攻と改組昇格
平成15年4月1日(2003年) 岡山大学大学院保健学研究科(博士前期課程)設置
平成17年4月1日(2005年) 岡山大学大学院保健学研究科(博士後期課程)設置
群鳩譜
前岡山大学教育学部教授 蛭田二郎先生 作
保健学科の玄関を入ると、すぐ目に入るのがホール正面の壁面を飾るブロンズのレリーフである。横一線の連鎖をなすのは 30数羽の鳩の群であり、その中央部の群鳩の背に両足を踏まえて、躍動する命を象徴するかの様な裸の男と女の児が立っている。「私たちのかけがえのないいのちは、多くの手によって守られ、育しまれ、支えられています。そのやさしい手の数々を、それぞれの鳩に託し」「群鳩譜」と題されたこのレリーフの作者である前岡山大学教育学部教授、蛭田二郎先生は、その創意意図を壁面の片隅に刻まれている。この群鳩は他ならぬ君達なのだと私は毎年新しく入学してくる学生達に訴え続けてきた。
(岡大広報 No.89 1996 3.25 群鳩譜 初代岡山大学医療技術短期大学部・部長 喜多嶋康一 著から引用)
現在も、大学内には看護学校名を記した木札が大切に保管されています。
表玄関の右手の庭には、前身校である医療技術短期大学名が刻まれた石碑があ
ります。
看護師の大学教育は長年の悲願でした。保健学科の共通理念は人間尊重とヘルスプロモーションであり、教育理念として「全人的ケア」、「チーム・ケア」を据えています。社会の要請に応えて大学院も開設され、卒業生(ときわ会会員)進学者もいます。今後のさらなる活躍が期待されます。
グラウンド横(左)が新病棟で、屋上にはヘリポートが設置されました。この
航空写真は第一期工事の時点のものです。
保健学科棟のすぐ北側に新病棟が出来ました。大勢の看護学生の臨床実習を受
け入れてくれています。
(※写真はクリックすると拡大されます)
昭和42年以後の新入会者数
昭 和 | ||||
42年(49人) | 43年(51人) | 44年(48人) | 45年(48人) | 46年(47人) |
47年(41人) | 48年(53人) | 49年(52人) | 50年(40人) | 51年(41人) |
52年(52人) | 53年(51人) | 54年(38人) | 55年(44人) | 56年(33人) |
57年(51人) | 58年(47人) | 59年(54人) | 60年(49人) | 61年(44人) |
62年(47人) | 63年(50人) | |||
平 成 | ||||
元年(50人) | 2年(77人) | 3年(77人) | 4年(74人) | 5年(75人) |
6年(74人) | 7年(67人) | 8年(77人) | 9年(76人) | 10年(78人) |
11年(76人) | 12年(73人) | 13年(85人) | 14年(47人) | 15年(87人) |
16年(69人) | 17年(68人) | 18年(84人) | 19年(45人) | 20年(52人) |
21年(52人) | 22年(71人) | 23年(53人) | 24年(45人) |
■当初からの卒業生数
1. 産婆看護婦養成科(第1回〜27回) | 1,134名 |
2. 厚生女学部(第1回〜5回) | 197名 |
3. 看護学校 (第1回〜39回) | 1,628名 |
4. 医療技術短期大学部(第1回〜12回) | 927名 |
5. 医学部保健学科看護学専攻(第1回〜12回まで) | 1,056名 |
総合計 | 4,942名 |