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リレーエッセイ第12弾!

掲載日:2017-7-24 8:39:29

「多くの人々の 支えと交わり有ってこそ存する人生」
           
             岡山大学医学部附属看護学校 18期生 ハビブ 文妙子

ここカリフォルニア、スタンフォード大学の周辺では 赤、白、薄青、黄の花々が夏の訪れをを告げています。
同窓の赤井そのゑさんからリレー・エッセイのバトンを受け、自分の人生を懐かしく振り返って見ました。

小学3年生の時 本でベスビオス火山の噴火で埋もれた古代ポンペイの街 発掘を習った時「海の向こうの国々に行って見る」と心に決めました。勉強部屋だった離れ座敷の古い唐紙4枚に絵の具で思い切り描きたいという願いを受け入れてくれ、「大胆な出来上がりだ」と笑みてくれた母に養され、その部屋から外の自然美を眺めながら未来を夢見た中学高校生時代でした。

看学時代私は 素晴らしい友人、先輩、恩師達に囲まれていました。
特に二人の先輩からは強いインパクトとインスピレーションをいただきました。
新しく開いた脳外科で学生指導だった富田幾枝さんの有される 心のゆとりと回りから一身に受けられる信頼、滲み出る看護の哲学、学ぶ喜びの姿勢・・・に「富田さんから習いたい」と実習中に就職先を決め、卒業後 岡大教育学部養護教員課程を修了し、脳外科に戻って来ました。
もう一人の先輩は丁度その頃 ニューヨーク大学留学から帰国され 初めてお会いした小島操子さんでした。寮に伺ってお話する毎に 尽きぬ勉学心と他の心理を理解し抱擁される器量、謙虚さの奥に秘められた深さと広さ、そして日本の看護向上への情熱・・・を ひしひしと感じました。
当時の脳外科婦長さんは「慶應大学で夏季コースを受けたい意」を話したら「学位をめざすように」と励まし休暇を下さり、後に 留学の意も 「視野を広げて来なさい」と 力づけて下さいました。英語科の宮川誠子先生は故郷を離れての母でお宅に寄って話にふけたり一緒に料理したものです。
数々調べて選んだ二つの大学の内ニューヨーク市のコロンビア大学を 外科教授が強く推薦して下さり決めました。
就職1年足らず、 自力で留学したい私にとって 米国からの奨学金は次2年間の留学を可能で意義深い体験にしてくれました。

1970年3月にやって来たニューヨーク市は 国際色、芸術、自己表現、自立心豊かで、しきたりや 回りの人々の批評に囚われず自己を自由に発揮させてくれる、まるで無限に広がる大草原を疾走する野生の馬の如くに感じさせました。
眼科の松尾信彦教授が同じコロンビア大学で研究に家族で来られており、Mrs.松尾が日本料理を度々作って下さいました。

レイナー教授とボニー講師の下に12カ国から24人の若きナース達が門をくぐって集まりました。
高台に建つ高層レンガ造りの学生寮の私の部屋の窓からはハドソン川と緑の森が眼下に、その向こうにニュージャージー州が広がっていました。
コロンビア大でのプログラムは広い分野を含んだ豊富な内容でした。週末には教授と講師は私達一同を名所に遠出や 自宅に招待、又ニューヨーク市がふんだんに提供する文化を楽しむ様にとブロードウェーのミュージカル、オペラ、バレー、コンサート等のテイケットを割引きで買える手配や国際学生の集いへの案内をして下さり楽しい体験をしました。教授室から徳島大学で教えておられた小島さんにお電話し胸が一杯になり何も話せなかったのを思い出します。
この2年を終了後 大学院に進み修士を修得し 日本に帰り 看護学を教えるのが私の志で, やがてその準備を始めました。

修士課程中は助手講師の職を得、学士課程を教える事も有りました。
渡米後4年、大学院卒業が近着き私は岐路に立ちました。「小島さんと日本で教えたい」と思い続けたこの4年。その一方私をアメリカに引き留める静かな引力が有りました。そんな時 小島さんがメキシコで国際会議を終えて私の所へ寄って下さり、夜が更けるのを知らず話し込みました。翌日は友人と深々と話し合って下さいました。負う期待と自分が持っていた志を完せぬ葛藤、日本の家族、私が持つ 未来への質問と自信・・・全てを受け入れ、賢明な判断と支援をして下さり、私の実家に行って家族に安泰を届けて下さいました。小島さんは私が平和な心でアメリカに自分の基盤を始める事を可能にして下さいました。

時が過ぎ・・・しばらく居た ICU を夫の転勤で去り、その内育児専念が始まりました。 その頃恩師の阿部壽満子先生がアメリカ看護大学のカリキュラムを検索に来られ懐かしく御一緒しました。
下の子が家を離れて大学に進み 遂に仕事に没頭出来る時が来ました。看護学教育、リサーチ、その他数々の新分野が提供されていた中で 臨床が私の心を強く掴んでいました。そこで足を踏み込んだのが 人工腎臓透析でした。科は ICU、病室、入院患者と外来を合わせたユニットでの透析を管理しました。以後 院内教育もし、臨床を離れませんでした。症状変化を予知して防ぎ、即座の判断と対処をし、心を感知し、耳を傾けて聴き、患者の代弁者となり、要すれば厳しくあり・・・これらが私を臨床に引きつけて放しませんでした。
様々な場面の内、こんな一場も有りました。
ある午後スタッフが「婦長さん来て下さい。Mr. Tが透析を拒否し怒鳴っています。」と言って来ました。行ってみると外来透析ユニットで馴染みの Mr. Tが病室から送られて来たベッドに身を起こし険しい表情でいました。48歳の独り身、自己管理に欠ける彼は糖尿病の悪化で両眼全盲と診断され、壊死の為 過去に左膝下切断、今回右足首で切断の為入院。ベッドの横の椅子にかけ 私に即座出来ることは手を彼の腕にそっと置き 静かに「苦しいですね」の一言と沈黙を保つだけでした。彼は表情が和らぎ、喫煙を病室のベランダでする事も「糖尿病に悪い」と禁じられた事、経済的に乏しく手術後は遠くに住む兄夫婦と同居する事を話し始めました。じっと聴きながら、一つ残された楽しみの喫煙をも禁じられた事へと人生への腹立ちと悲惨感、自立に制限のある身体、兄夫婦への気遣い、限られた資源を持つ兄夫婦の重荷、お互いに不便な生活になるであろう事等等を考えると彼の退院後の困難な人生が思われ て静かに涙が頬を伝うのを止めることが出来ませんでした。全盲のはずの彼が突然「婦長さん、泣かないで下さい、自分は大丈夫だから心配しなくてもいいですよ」と・・・。彼が透析を終え病室に帰った後こちらと移転先のソーシャルワーカーが合同して働く準備を直ちに始めました。翌日会議から帰って来ると私の机の上に花瓶にさされた一輪の花が置かれていました。「Mr. Tが 病室から車椅子に押されて婦長さんに届けに来たんですよ」とスタッフが教えてくれました。
仕事に没頭できた満足な十年余でした。

現在は長男家族4人がパリに住み、娘家族3人が近くに住んでいます。四歳になった孫娘の忙しい活動を一緒に楽しみ、伸び伸びと育ってほしく、幼年期の展開していく成長を理解したくて若い母親達と一緒に講義/話合い に出席しています。
小学3年生の時心に決めた世界歩きは 2人で始まり、3人になり、4人になり、やがて2人に戻り、時おり3代3家族の大群になりながら続けています。趣味、家族と親戚、友人との交わりを大切にし楽しむ今日此頃です。

ときわ会レター第3号!

掲載日:2017-5-13 0:24:54

この度発行ときわ会レター第3号が発行されましたのでお知らせします。
今回は恐れ多くも私も文章を書かせて頂いています。書いただけにならないよう、少しずつでも行動で示していきたいと思います。

皆様の手元にもときわ会レターは届いていると思いますが、下記にもファイルを載せておきますのでどうぞご活用くださいませ。

                         ときわ会広報 内田可菜



リレーエッセイ第11弾!

掲載日:2017-4-15 9:21:59

「学ぶ」原点は岡大看護学校にあり!!


岡山大学医学部附属看護学校 第18期生 赤井 そのゑ(旧姓 杉山)

同期の山上富代さんより、リレーエッセイのバトンを受け取りました。私たちが看護学校1年生の時、NHKの朝ドラで「おはなはん」が放映されていました。学生寮でギリギリまでドラマをみて、グランドを一気に走り抜けてピンク色の校舎に通った事、いつも阿部先生や酒井先生に通学路を歩くように注意された事が懐かしく思い出されます。真面目で優秀な学生ではなかったと反省しきりですが、岡大の自由でのびのびした雰囲気が大好きでした。あれから50年、ついに70代に突入しました。人生とはかくも早く通り過ぎて行くものなのか、瞬き一つの歳月だったと感じています。
 看護学校での臨床実習は実に楽しくて、どの病棟にも目標にできる素晴らしい指導者の皆様がいて、先輩が後輩を鍛え育てる校風が自然にあったと思います。私も、看護学校卒業後は附属病院に残って先輩ナースのようになりたいと思っていました。
 学生時代の産科実習で初めて出会った出産は死産でした。五体満足に産まれてくるが当たり前と思っていた私にとって衝撃的な体験でした。母子二つの命を援助する助産師の仕事に魅力を感じて助産師学校に進学し、岡大病院の産科病棟に5年余り勤務した後、夫の東京本社勤務のため岡大病院を去ることになった時は本当に悲しかったです。
その後6年間の専業主婦をした後、都立看護学校の非常勤講師を経て、36歳で地元(千葉県船橋市)の看護学校の教員になりました。6年間のブランクを乗り越えての再就職、何もかも別世界で自分の遅れを嫌と言うほど痛感しました。教員をしていて一番困ったことは、「看護過程の展開」ということでした。千葉大学看護学部の薄井坦子教授のゼミに参加して、一から学びました。「看護的なアセスメント能力」とは、エビデンスに裏付けされた看護実践とは何かなど学ぶことが山のように押し寄せてきました。それを解く手掛かりとなったのが、看護学校時代に学んだ長島先生の「看護生理学」、外科学の佐野先生の授業内容や「心臓手術」「脳外科手術」などのOP見学を通しての学習で、岡大看護学校の基礎看護教育の素晴らしさに気づかされました。現在、岡大では肺移植や心臓移植など最先端の医療がされていますが、その最先端医療を陰で支えているのは、質の高い看護力だと思っています。
 私は、実習病院の卒後教育に15年間関わったり、厚生労働省の「幹部教員研修」修了後、「千葉県看護教員研修」の講師を経験しながら、看護専門学校教員26年、大学看護学科講師を3年間勤めましたが、リウマチを悪化させて65歳で退職しました。退職後、脳のリハビリだと思い東洋大学大学院社会学研究科に入学し、若者の結婚意識についての修士論文をまとめてこの3月に博士前期課程を修了しました。「学び」は、自分を新しく作り変えてくれます。「学ぶ」ことの原点は、岡大看護学校の校風の中で培われたものだと本当に感謝しております。今後も、ときわ会がますます発展されますようにと心から祈念しております。

リレーエッセイ第10弾!

掲載日:2016-9-12 10:18:00

川の流れのごとく自然に、楽しく生きていこう!!

  岡山大学医学部附属看護学校     第18期生 山上 富代

看学9期生の大須賀桂子さんよりリレーエッセイのバトンを受け取りました。大須賀さんには香川県看護協会活動を通して看護学校の大先輩であることが解り、心強くまた大変お世話になりました。
 私は福岡県で高校生活を送り「手に職を!!」と考え、父の郷里である岡山の看護学校を受験するために、一人で夜行列車に乗り岡山へ出てきました。卒業後大学病院に就職し第一外科に6年間、手術室に3年間勤務。その後、福山市に市政60周年事業として福山市民病院が開設されることになり、開設の準備から係わり7年間勤務しました。それから、昭和58年に開院した香川医科大学附属病院で16年間勤務。その後社会保険栗林病院(現在は独立行政法人地域医療機能推進機構りつりん病院)で13年間勤務後、現在高松市福祉事業団嘱託職員として身体障害者福祉センターコスモス園で勤務しております。医療から福祉の現場へと移り色々経験しながら7年目を迎えております。卒業から現在までの49年間は、看護学校の諸先輩と大学病院で一緒に勤務した仲間からのお誘い、友人からの紹介等「川の水が流れるごとく」タイミング良くお話を頂き、自分で決断し現在に至っております。先輩・仲間・友人に恵まれていたことに感謝しております。
 私はおひとり様なので身体には気を配っております。早朝1時間ウオーキングをしてからの出勤を40年間続けております。20年前からは冬期以外の季節には、月1回の登山も楽しんでおります。日々のトレーニングの成果を評価するために、「四国八十八カ所歩き遍路」を区切り2回で達成しました。約1200km自分の足で歩いた経験を通して「一歩前へと継続」を実感しました。その後日本100名山にチャレンジし平成26年に全て登頂できました。15年間かかりました。今年古希の記念として〕尻富士登山、日本アルプス表銀座を縦走し槍ヶ岳に登り、お天気にも恵まれ良い記念になりました。他にテーマを決めての海外旅行年1〜2回、京都一周トレイル、日本秘湯温泉めぐり等で遊んでおります。マジックの施設訪問、知的障害者の支援ボランティア等時間があれば活動しております。仕事をしながら遊ぶには、身体が健康で元気であることです。そのためには腸内環境を整えることが大事と思っておりますので、テレビ・ラジオ・雑誌等から得た情報はいろいろと試みております。
 平成28年8月28日(日)第7回大学病院の旧手術部同好会(3年毎開催)に参加して、会長塚原婦長(中央手術室初代婦長・このリレーエッセイ第1弾に登場)を始め先輩の方々と旧手術室の想い出を語り合い、参加者の現状報告を聴き、和やかに楽しい時間を過ごすことができました。会長の塚原婦長は昔とお変わりなく「新老人の会」で色々と活動されて大変お元気で刺激を受けました。「新老人の会」の方針は^Δ垢襪海函↓∩呂瓩襪海函↓B僂┐襪海函△任△襪箸聞きし、私も古希から何かを始めたいと思いました。生涯現役で仕事して、人のお世話をして、楽しく遊ぶことを目標に過ごしていきたいと考えております。91歳で元気で食事・洗濯・掃除を一人で頑張っている母に負けないようにしなければとも思っております。このリレーが末永く続きますことを念じております。


編集後記
このリレーエッセイもついに第10弾を数えるまでになりました。これもバトンを受けてくださる会員の皆様あっての事で、心より感謝しております。
皆様の文章を拝見していると、その内容に興味を引かれるだけではなく、会員同士の意外な接点が発見されたりといった様子も伺えて、これも皆様が人と人との繋がりを大切にしてきたという証なんだろうな、と感嘆しきりです。
末筆になりましたが、今回バトンを受けてくださった山上さま、素敵な文章をありがとうございました。この場をお借りして、御礼申し上げます。

リレーエッセイ第9弾!

掲載日:2016-6-20 22:34:35

前回の片山徳子様のバトンを看学9期生の大須賀桂子様がつないで下さいましたので、ご紹介いたします



       
          健康第一生涯保健師   

           岡山大学医学部附属看護学校9期生  大須賀 桂子

 2016年3月31日、第88回選抜高校野球大会の決勝戦で、香川県代表校、高松商業高校は智弁学園高校に延長11回の末、2対1で涙を呑みました。その熱戦の興奮が覚め遣らぬ翌日の昼さがり、突然の電話で片山子氏から“ときわ会リレーエッセイ”のバトンを渡されました。片山子氏とは、全国から注目されていた看護師保健師統合カリキュラム教育校の玉野総合医療専門学校で7年間、教員生活をともにしました。

 看学9期生の私は1959年に卒業、保健師学校に進学し、1年後に出身地の香川県で保健師デビューしました。当時、香川県では地区把握、地区診断、地区組織活動による総合的な共同保健計画に基づく公衆衛生活動が推進されていました。保健師の業務は衛生教育、健康相談、家庭訪問指導などで、結核予防、母性・乳幼児の健康増進が主でした。毎日毎日、公用自転車で担当地区を巡るのですが、舗装されていない凸凹道は風が吹けば砂塵が巻き上がり、雨が降れば泥水が跳ね上がりました。

 あれから56年有余、核家族化、少子高齢化、情報化など、社会環境の変化に伴って、保健師に関わる事業はがん教育、精神保健、子育て支援、児童虐待防止、地域包括ケアシステムの構築など複雑多岐にわたってきました。今、保健師たちは人々の健康を守り、地域を元気にしようと“みて、つなぎ、動かす”保健活動を原点にして、地域の人々とともにあらゆる健康レベルの人々を支え合う“まちづくり”を進めています。

 医療や看護、福祉は施設完結型ケアから地域ケアへシフトしています。かつて保健師の特有の活動であった家庭訪問は、訪問診療、訪問看護、訪問リハビリテーション、訪問介護など、多職種の様々な人たちにより在宅支援が行なわれるようになりました。そして、チームケアにおけるキーパーソンとして、看護職者に期待が寄せられています。私たちはいつの時代にも看護の本質を問い続け、対象者の基本的人権を擁護してきました。社会から期待され、人々をエンパワーメントできる看護の力がいろいろ輝く時代を迎え、看護職者であることの誇りを一層強くしています。

 私は現職の53年間に地域の保健師、医療ソーシャルワーカー、精神科ソーシャルワーカー、看護教員として働き、引退後は“健康第一生涯保健師”をモットーに、精神保健、障害者福祉分野でボランティア活動を行なっています。感謝の日々です。
 末筆になりましたが、ときわ会のますますの発展と会員皆様方のご健勝をお祈り申上げます。
 

岡山大学医学部附属看護学校第34期生の同窓会がありました!

掲載日:2016-6-7 18:59:45

岡山大学医学部附属看護学校第34期生の保科英子様より、4月に開かれたという同窓会の様子を頂戴しましたのでご紹介します



平成28年4月29日 まつのき亭(岡山市)
8年ぶりに4回目の同窓会に懐かしい顔23名がそろいました。多感な時期にともに学び、ともに暮らし、語り合った仲間たち。まだまだ現役でがんばっている世代ですが、自分自身の健康の話、親の介護の話、子どもたちの結婚・孫の話と、年相応の話に大いに盛り上がりました。来たるべき超少子・超高齢・多死社会の日本の医療・看護・介護は私たち看護職に任せといてと、4年後東京オリンピックの年に再会することを約束し散会しました。

岡山大学医学部附属看護学校34期生(昭和59年卒業)






ときわ会レター第2号!

掲載日:2016-4-24 22:48:42

このたびの熊本地震で被災された皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。1日も早く、安心できる日が訪れる事を祈念いたしております。
もしも会員の方の中で、連絡を取るために同窓生の住所を知りたいという方がおられるようでしたらご一報ください。

さてこの度、年1回発行のときわ会レターが発行されました。
皆様のお手元にも届いているでしょうか?
下記のPDFファイルからも記事を閲覧する事ができますので、どうぞご活用下さい。

ときわ会レター第2号

リレーエッセイ第8弾!

掲載日:2016-4-9 22:37:17

     喜寿祝う伊勢海老跳ねてまた跳ねて
                          11期生 片山 子

33期生の森安浩子さんよりリレーエッセイのバトンを受けました11期生の片山子です。
森安看護部長さんが看護師募集で、私の勤めていた玉野総合医療専門学校(4年制の保健師・看護師の養成学校)にお出でになられた時に何十年ぶりかでお会いしました。彼女の就職した当時西病棟2階でご一緒していた、そんなご縁でしょうか。そして看護の卒業生が三豊総合病院でお世話になっています。ありがとうございます。

私は平成6年4月から6年間岡山大学病院の看護部長をしていました。その頃は、ようやく病院全体の変革の始まろうとした頃だったように思います。平成12年2月に病院医療機能評価を受審しました。病院を退職した平成12年は第三者評価としての日本医療機能評価機構の活動が活発化した頃で、私も講習会を受講しサーベイヤーとなりました。誰かのリレーエッセイにもありましたが、大学病院は特定機能病院ですので当然ではありますが、大学病院での医療・看護の質の高さ・深さを自然に身につけていることを、私達はありがたいと思います。

病院医療機能評価は開始されて昨年で20周年を迎えました。この第三者による評価のおかげで日本の津津浦々まで病院の改革が急速に進んだように思えました。私は2ヶ月に1回くらいの割で東京以西の病院を訪問させていただきました。東京の本部へも度々で、お陰様で各地の旅行を楽しみました。機能評価の内容は時代に対応した数回の変更があり、変更と言うより進化したと言うのが適切でしょうか。昨年3月ですっかりサーベイヤーを辞しました。

今回のテーマ、77才(数え年)の喜寿になります。学校退職(平成21年3月)の後、聖路加国際病院名誉理事長日野原重明先生の「新老人の会」に入会し、先生の言われる「愛し・愛されること」「創め・挑戦すること」「耐えること」を忠実に守って(?)75才にして絵手紙を習い、俳句も始めました。絵手紙と喜寿の祝いの句です。笑ってやってください。

現在は公民館講座でのオカリナやフラダンス、らくらくピアノ、また町内会での「いきいきサロン」、婦人会活動(ファジアーノのボランティアも)、コーラスなどで毎日忙しく楽しく、教育と教養の日々のおばあさんです。これは、「今日行くところがある」「今日用事がある」の老人生活の略語です。健康に留意していませんので、一見元気そうに見えるけど、脊柱管狭窄症や膝関節の炎症で歩くのは大の苦手です。海外旅行は無理になりました。今後、認知症が気がかりですが、毎日の生活に感謝し、楽しく明るく生きることができればいいなと思っています。






編集後記
今回は11期生の片山子様が素敵な絵手紙と喜寿の祝いの句を添えてバトンを繋いでくださいました。皆様どうぞ画像をとくとご覧下さい。リレーエッセイを御寄稿頂いた片山徳子様、ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。

リレーエッセイ第7弾!

掲載日:2015-7-3 13:46:12

看護から喜びを感じあえる「看護はライブ!」


           岡山大学医学部付属看護学校 33期生 森安 浩子

岡大看学33期生森安浩子です。同期生の亀岡智美さんからリレーエッセイのバトンを受け取りましたが、なかなか書き始めることができませんでした。何かを避けようとしているのかもしれません。

香川県出身の私が岡大看学に入学した理由のひとつには、実家から離れたいという気持ちがありました。当時は瀬戸大橋が開通しておらず、予讃線・宇高連絡船・宇野線と乗り継ぎ3時間かかりました。卒業後、岡大付属病院第2外科に就職し3年間働きました。そして地元の三豊総合病院に就職し、約30年が過ぎたことになります。

これまで看護師としての半分近い期間は看護管理者としてのキャリアを積んできたわけですが、病棟師長の頃の目標はスタッフがやりがいを感じながら、いきいきと看護ができる病棟づくりでした。そして今は看護職だけでなく病院職員がいきいきと働ける職場づくりを目標としています。

組織を動かすには、目標、組織貢献、コミュニケーションが重要といわれています。スタッフとのコミュニケーションを大切にし、病院の理念を目標に、やりがいを感じながら働ける組織を目指しています。コミュニケーションでは「ポジティブフィードバック」を心がけ、組織とスタッフの関係を深く強いものにすることが、強い組織への第一歩と考えています。

また自分の言葉で考えていることや想いを伝えたいという気持ちで週1回の「看護部長のひとこと」を全部署に配布しています。もうすぐ丸7年になり、自分ながらよく続いたなあと思っています。今ではひと月分をまとめて看護部のホームページに掲載しています。院外の方からも「読んでいます」と言われると、大変うれしいものです。

看護部長としての大きな使命に看護職員の確保があります。香川県の西の端に位置する自治体病院の三豊総合病院は確保対策に力を注いできました。そのなかから自分たちが行った看護を振り返り、表わし、伝えるということに取り組んできました。日々の業務に流されていると、看護のやりがいを感じられなくなりがちです。振り返ることで、自分たちの看護実践を意味づける、価値あるものと考えることができるようになりました。「看護はライブ!」という言葉で、当院の目指す看護を表現しました。この春退職する看護師から手紙を手渡されました。そこには「部長の方針はすごく分かりやすくてとても働きやすかったです。「看護はライブ!」この言葉大好きです。」という文面があり、これまでやってきてよかったと実感した瞬間でした。これからも心が通じ合える瞬間を大事にする、そして看護から喜びを感じあえる看護部でありたいと考えています。

実家から離れたいと思っていたはずなのに、岡山で過ごした6年間の後もまた実家で暮らしています。患者さんやご家族と接すること、看護が大好きだったはずなのに、今は現場ではなく看護を好きと思える看護師を育成しようと支援する側になっています。自分たちの看護を表し伝えることで、誇りを持って働くことができ、それが人材確保につながると信じてがんばっていきます。

 瀬戸大橋のおかげで、岡山まで1時間となりました。私の看護の基礎を築いていただいた岡大看学、心の距離も近く感じながら、これからも私なりの看護の道を歩みたいと思います。このような機会を頂き、本当にありがとうございました。

ときわ会レター創刊!

掲載日:2015-4-16 21:50:33

題名の通り、ときわ会レターが創刊されました。
皆様のお手元にも無事に届いているでしょうか?
会員の皆様の声を届けるツールのひとつとして、年1回の発行を予定しております。
ご意見・ご感想などありましたら、是非ホームページを通じてお寄せください。

こちらにも会員の皆様にお送りしたものと同じ内容をPDFファイルで掲載させていただいております。
下のPDFファイルのアイコンをクリックすると別窓で開きます。

リレーエッセイ第6弾!

掲載日:2014-12-1 21:28:45

今更ですが先生方に感謝の気持ちを伝えたい

岡山大学医学部附属看護学校 33期生 亀岡智美

岡大看学33期生の亀岡智美です。25期生の崎本敏子さんからリレーエッセイのバトンを受け取りました。

私は、現在、東京都清瀬市にある国立看護大学校で教員をしています。国立看護大学校は、2001年に厚生労働省が設置し、2010年からは独立行政法人国立国際医療研究センターの一組織になりました。

私は、開学の年に着任しました。大学の学部に相当する4年間の教育を行い、学生は卒業時に看護師国家試験受験資格とともに、学位授与機構(現在の大学評価・学位授与機構)から学士(看護学)の学位を取得できます。大学院修士課程に相当する教育を行う研究課程部、看護継続教育を行う研修部もあります。

先日、国立看護大学校1期生の卒後10周年の同窓会がありました。1期生は、学校にとって初めての学生であり、教育活動はスタートしたものの決まってないことも多く、教員たちにとっても手探りのところが多々ありました。しかも、私は教員1年生でした。1期生に対し、生まれて初めての「看護過程の授業」や「基礎看護技術の授業」、「基礎看護学実習の要項作り」等を行ってはみたものの、「何か重要なことを学生たちに教え忘れてはいないか」が常に気になっていました。

1期生の卒業後もそんな気持がずっと続いていた私は、久しぶりに卒業生に会えるのを楽しみに、心の隅に成績判定を受けるような気持ちも持って、同窓会会場である都心のホテルに向かいました。

国立看護大学校は1学年100名定員です。同窓会には、1期生の約半数が、文字通り、北は北海道から南は九州まで、全国各地から集まっていました。学生時代の面影を残しながらも、誰もが「しっかりした大人の顔」になっていました。また、皆、看護師の仕事を続けており、その様子を活き活きと話してくれました。

卒業生からもらった私の成績は「合格」でした。学生や卒業生の成長は、多くの教員が力を合わせてのことですし、何よりも学生や卒業生たち自身の努力の賜物です。けれども、頼もしく成長した1期生たちの教育に教員として関われたことをとても嬉しく誇らしく思いました。

岡大看学33期生も、今年6月に年1回の定例同窓会がありました。私は、予定が合わず参加できませんでしたが、日頃から連絡を取り合っている同級生から、その時の様子を聞きました。また、8月の帰岡時に同級生に声をかけたら、10名ほどが集まってくれ、話に花が咲きました。

33期生も気づけば卒業後31年です。卒業式の時だったか、「定年退職まで岡大病院に勤める」と宣言した同級生の一人に、他の多くの同級生が驚異と感嘆の眼差しを注いだことが記憶に残っています。当時、私を含め、ほとんどの同級生は、「看護師を一生の仕事にする」というような気負いはなかったように思います。

しかし、31年経った現在も、同級生のほとんどが看護職として第一線で働き続けています。卒業以来、岡大病院に勤め続けている人もいれば、故郷や嫁ぎ先の近くの病院に勤めている人もいます。訪問看護ステーションを開業した人、助産師のグループを組織して独自の産前産後ケアや性教育を展開している人、保健師や養護教諭として働き続けている人など、活動のしかたは様々です。

同級生のほとんどが、岡大病院ではないにしても、それぞれのあり方で定年退職まで看護職を続けそうですし、定年退職後もそれまでの経験を活かして活動しそうな勢いです。ですから、私達を育てて下さった先生方の成績は、文句なしに「花丸合格」です。

学生時代のことを思い返すと、穴があったら入りたいようなことばかりです。31年経った今、ようやく、「あの日があったから今日がある」と思えます。今更ながらですが、この場をお借りして、当時お世話になった先生方に心よりお礼を申し上げます。

31年間、看護職として仕事を続けてきたからこそわかるようになったこととがあります。できるようになったことも増えました。職業生活を通して、これからも自分自身を育てて行くとともに、私自身がわかるようになったこと、できるようになったことを後輩たちにしっかりと伝えていかなければと思います。私達を育てて下さった先生方のように、学生たちの将来から「花丸合格」をもらえる日をめざして。

リレーエッセイ第5弾!

掲載日:2010-8-26 12:36:20

看護師出身の議員として24年、今期で引退します
                         25期生 崎本敏子

  岡大看学25期生の崎本敏子です。卒業後、岡山協立病院に就職し、12年間臨床をはじめ外来、手術室、訪問看護などいろんな分野を経験しました。岡大病院しか知らなかったので、民間の地域医療の現場は驚きもいっぱいでした。
この12年間は、私の中でいまでも宝のような時間です。患者さんにとって必要なことは、不採算でもやるという信念でとりくむことを許されていました。ゆえに、看護師として必要であることの説明は尽くさなければならないので、よく医師や上司と議論をしたことを覚えています。そういう環境にずいぶん育ててもらったと感じています。
私は看護師という仕事が好きでした。「看護師は専門職だ」という母校の教えが根底にありました。やりがいと生きがいを感じ、看護教員養成講習にも行かせていただき、後輩の指導にもかかわっていました。
そんな時、市議会議員への立候補の要請があり、悩んだ末に挑戦を決意したのです。そのときの葛藤は今思い出しても大変なものでしたが、当時女性が市議会にたった3人と少なく、それを減らすわけにはいかないと思いました。また、私は32歳で3人の子育てや義父の介護をしていた頃で、同じような立場の人の声は市議会に必要だと開き直り、再度の要請にこたえることにしたのです。看護師であることは必ず活かせると思いました。看護師は毎日患者さんの声を聴き、様々な苦しみを知っているのですから・・・。その後、わたしの政治信条は「いのちは何より大切」と決めました。
岡山市議会議員となってはや6期目で、今年で24年目となります。同窓会の皆様には、ご支援やご指導をいただき、心から感謝しております。
振り返れば、いのちにこだわる看護師出身の議員として、様々な仕組みづくりにかかわってきました。介護保険制度の市独自の取り組み、国民健康保険制度の改善、救急車の適正配置、男女共同参画の施策推進、子育て支援、食育、・・・そして今、「がん対策推進条例」を政令市としてはじめて議員提案で策定しようと取り組んでいます。何とかやり遂げたいと思います。
実は私は、今期限りで議員を引退することを決意しました。ご支援いただいた皆様にあらためて感謝を申し上げます。ありがとうございました。
昨年暮れに、がんが見つかり、1月末に手術を受けました。ちょうど義母の在宅緩和ケアをしている最中でした。手術後快方に向かっているものの、体力的不安は払拭できません。熟慮した結果、いい後継者を得ることもでき、今回の決意にいたりました。
義母は4月に看取りました。私が付き添えるようになるのを待っていたように、わたしが付き添っていた夜に亡くなりました。子や孫、ひ孫に見守られて・・・。
この介護体験と患者体験は私にとって貴重なもので、きっと今後の人生に役立つと考えています。
健康回復をした後は、地域での市民活動や看護教育などに微力を尽くしたい・・・と考えています。
私は絵本を読み聞かせする地域文庫の活動ボランティアを10年続けています。趣味の民謡も再開し、楽しい愛媛県人会にも参加していきたい。人とのご縁を大切にしたいですね。
25期生は、昨年11月に同窓会をしました。友人たちとの時間は本当に楽しかったです。これから会う機会を増やしたいですね。
人生に無駄なことはないと思います。これからも前向きに、少しやりたいことを優先にしながらも最後まで「人の役に立ついのちでありたい」と願っています。



広報より
第4弾の持田様からのバトンを受けて頂いたのは、25期生の崎本様です。この文章を読むと、自分ができる事は何か?やるべき事は何か?やりたい事は何か?そういった様々な葛藤を抱えながらも、一人の人間として、自身の信念の元に行動する崎本さんの姿が目に浮かぶようです。自身の経験を、これからの人生だけでなく、次の世代にも活かしていこうとしてくださっている崎本さんの熱い思いに触れて、私も元気をもらったように思います。
母校の先輩は人生の先輩でもあります。願わくばときわ会の存在が、両者の交流を後押しする場になれたらこれ程嬉しい事はありません。
末筆になりましたが、崎本さまにはこの場を借りて御礼申し上げると同時に、これから待っている沢山のやりたい事を存分に満喫できるよう願っております。本当にありがとうございました。


リレーエッセイ第4弾!

掲載日:2010-8-19 14:21:59

華の21期生も還暦を迎え、第3の人生をスタート!

           看学21期生 (昭和46年卒) 
              ソワニエ看護専門学校 持田千里

 ときわ会の広場のリレーエッセイのバトンを受けていたことなど、広報の方から連絡があるまで忘れていました。しかも、聞いてからも書き始めるまでに時間を要し、今日になってしまい申し訳ありません。物忘れがいつのまにやら進行しています。
 
 自分では全く信じられませんが、今年3月に60歳を迎え、3月末に定年となりました。しかし、老いの意識は2年前、愛犬チビの散歩中に大きい犬に出くわしたとき、チビのとっさの行動に反応できず、左中足骨3本を骨折したとき時自覚させられていたのです。幸いギプス固定で済みましたので、休むことなく仕事はそれなりにでき、今は足下には気をつけて歩き元気に過ごしています。
 さて、定年は迎えましたが、現在も継続雇用でなんと看護学校で副校長をしています。臨床が好きで、教育とは縁遠かった私ですが、55歳にしてお家の事情でソワニエ看護専門学校へ異動となりました。異動した頃は学生確保に苦労しましたが、ここ3年ほどは看護を希望する高校生も社会人も増え、40人定員の120名の学生たちと、楽しく看護の学習をやり直しています。学生たちから若さを吸収し、社会人の学ぶ姿勢に励まされ、彼らの3年間の成長を頼もしく見守っているこの頃です。
 看護教育という場にやっと慣れ、おもしろくなった3年程前から、「看護基礎教育の充実をめざす検討会報告」に基づくカリキュラム改定が行われたことを皮切りに、急速に看護をめぐる情勢は変化しています。「看護基礎教育の3年制1本化・准看護師養成廃止」というスローガンは、遠く彼方に追いやられた感じがします。「看護基礎教育は4年制かつ大学が主流」という日本看護協会の方針が先行し、大学院も増加した今日、「診療看護師(ナースプラクテショナー)」が一部の大学院で養成され、現在は包括的指示のもとで医療行為のできる「特定看護師」も検討されています。
 「看護とは何か?」「対象にとって看護師に求めることは何か?」という看護の原点に立ち返って、今こそ考えないと「看護の未来」はどうなるのだろうと危機感を抱いています。定年を過ぎて、今さらと思う気持ちもありますが、私自身が将来看護してもらっている姿をイメージしたら、のほほんとするわけには行きません。苦痛を訴える患者さんにそっと手の出せる、患者さんの気持ちに寄り添える看護師であってほしいと思います。学生と一緒に「看護とは何か」を考えていこうと思っているこの頃です。
 
華の21期生、来る9月29日に皆生温泉で数年ぶりの同窓会をします。今からうきうきしています。
車で米子道を走って出かけます。6月に鳥取県の高校訪問ですでに下見はできているから大丈夫です。
みんなどうしているのかな?第3の人生どんなスタートをしていることでしょう。
  
                      2010.8.17 記


広報より
リレーエッセイ第4弾、第3弾の古城様からのバトンを引き継いで、持田千里様に書いて頂きました!
「看護とは何か?」これは私たちにとって一番の命題といえるものだと思います。この事を考えるとき、私はいつも学生時代に恩師から言われた「看護師ってのは文字通り、自分の手と目を使って患者さんを護るプロフェッショナルよ!頑張んなさい!」という言葉を思い出します。なるほど、異常の有無を自分の目でしっかり捉え、相手が必要とする時にそっと手をさしのべる役目を持っているのだなあ、と考えて、身が引き締まる思いがしたものです。
看護の道も人生と同じで紆余曲折ありそうですが、先輩方に負けないよう後輩も努力しなくてはなりませんね。
最後になりましたが、リレーエッセイを快く引き受けてくださった持田様、本当にありがとうございました。9月の同窓会が素晴らしいものになるよう、お祈りしております。




「胡蝶蘭に見守られて」山谷看護協会長寄稿

掲載日:2010-8-18 8:10:43

ときわ会ニュースにも載せたように、2010年7月1日、看護学校17期生の山谷富美枝様が岡山県看護協会の協会長に就任されました。
この機会に是非ときわ会の為に筆を執っていただきたいとお願いしたところ、ご快諾いただきましたので内容をご紹介します。
山谷協会長にはこの場を借りて御礼申し上げると共に、今後の益々のご活躍をお祈りしております  ときわ会広報




          胡蝶蘭に見守られて

                        山谷 冨美枝

 岡山県看護協会の会長室にある胡蝶蘭の一つひとつの花から「ガンバレ」、「大変だな」「笑顔だよ」・・・などのメッセージが私に送られてきます。この胡蝶蘭は私が平成22年7月から岡山県看護協会長に就任したお祝いに、ときわ会の皆様からいただいたものです。会長という大役に戸惑い、大きな不安を抱えて毎日を過ごしている私にとりまして何よりの贈り物でした。本当にありがとうございました。この場をお借りして心から御礼申し上げます。
 昭和42 年に第17期生として卒業して以来42年間、看護職を続けてまいりました。学生寮で先輩と共に過ごした時期もありました。畳の部屋で火鉢を囲んで遅くまで話したことや、実習場所ではモーニングケアをそこそこに食堂に行くことを教えてもらったこと等はとても懐かしく、楽しく思い出されます。阿部滋子先生の凛とした厳しさに包まれながら、知識・技術そして人間性豊かな教授陣に恵まれて学生時代を過ごしたことは私の看護の核となっております。大学病院の小児科勤務はわずか2年ほどでしたが、学生時代の学びを揺るぎないものに、そして看護に携わることに誇りを持つができる私自身を育てていただき、今の私が存在しているのだと感じています。
 8月8日に岡山県と看護協会の主催で看護進路ガイダンス・看護就職フェアが岡山市で開催されました。その時に「あなたに伝えたい看護の魅力」について大学病院勤務2年目の看護師と看護学部3年生の学生の方たちが講師を務めて下さいました。堂々として、看護の道を選んだきっかけと現在、そしてこれからの夢を語る若人に胸を打たれ、ひとりの先輩として勇気をいただきました。私は、最先端の医療現場や大学での学びの中にしっかりと看護の心が育っていることを実感することができたのです。
 真庭市の自宅、看護協会のある岡山市、そして備前市の実家を行き来しながら私なりに精一杯、前を向いて歩いていこうと思います。
 今後ともご指導、ご支援の程どうぞよろしくお願い申し上げ、あわせて皆様のご多幸とご活躍を衷心からお祈り申し上げます。

リレーエッセイ第3弾!

掲載日:2009-7-14 10:53:28

看護教育の四年制大学化に希望を寄せて

看学第22期生(昭和47年卒業) 新見公立短期大学 古城幸子

第3回目のリレーエッセイを、石原美恵子さんに続いてお便りさせていただきます。石原さんには、看護協会関連でお会いすることがあり、お世話になっています。 

来年還暦を迎える我第22期生は、五黄の寅年生まれです。そのため一匹狼な人が多いのか、同窓会もほとんどなく、身近な同級生が時々集まって近況を話す程度の、関係希薄な(笑)クラスです。でも、クラスの8割は現役の看護職として仕事を継続しており、パワーのある人たちの集まりだと実感しています。

現在、私は新見公立短期大学で看護教育に携わっています。
現在の仕事を支えるものとして、岡山大学脳神経外科病棟での6年間の経験と、その新人の頃、現ときわ会会長富田幾枝氏の指導を受けたことが大きな財産となっています。教育現場への転身を迷って、富田氏に相談した際、「看護ができる人なら、教育はできる。どちらも相手の力を引き出し支える役割だから」と言われたことで決心したことが、つい先日のことのようです。

1980年開学時に助手として着任してから、すでに30期生を迎えています。年齢的にも学科長という重責を担わなければならなくなりました。その間、看護教育の世界は、大きく変貌しました。1980年には、8大学であった看護系の四年制大学は、現在全国に180大学になりました。岡山県 でも1993年 に、岡山県立大学 1995年 吉備国際大学、 川崎医療福祉大学、1999年にようやく 母校岡山大学、そして今年2009年に山陽学園大学と5つの大学で四年制の看護学教育がおこなわれるようになりました。
 
 この6月には、保助看法の一部改訂が行われ、看護師国家試験の受験資格を有する者として看護系大学卒業者という条文が明記されたことは、看護教育の質を向上させ、保障していくために大きな前進だと思われます。このような社会的な背景の中で、私の所属する新見公立短大も四年制へ移行することは必然的な流れで、現在文部科学省への申請をしており、認可が下りれば2010年(平成22年)に開学できる予定です。

 現役の最終章に、四年制大学の開学へ関わる経験ができることを、光栄に思うと同時に、看護専門職への将来像を描く若い人たちが誇りを持って社会に羽ばたけるよう、しっかりとした看護教育を構築しなければと肝に銘じています。
                                       2009.7.13

編集後記
第2弾の石原様からのバトンを引き継いで、古城幸子様からの
リレーエッセイをお届けします。
私が入学した時、岡山大学も、3年制から4年制へと切り替わる変革の時を迎えていました。当時も、自分が丁度変遷の時にいるのだという事は何となく理解しているつもりで居ましたが、やはりこうして実際に看護教育の変遷に力を注いだ方の文章を目の当たりにすると、恩恵を受けた者として改めて背筋が伸びる思いです。
先輩方の熱意を見習って、私も看護の道を突き進んで行きたいと思います。
最後になりましたが、リレーエッセイを快く引き受けてくださった古城様、ありがとうございました。新見公立短期大学が無事4年制へ生まれ変わります事を、心よりお祈りさせていただきます。
ときわ会 広報

リレーエッセイ第2弾!

掲載日:2008-11-12 21:22:58

       定年退職後3年

     岡山大学医学部附属看護学校  17期生 石原 美恵子
           
塚原 恒子様よりバトン頂きました。塚原様と私は手術部看護学会つながりです。
塚原様が産み、育てられた日本手術看護学会中国地区に手術部の師長時代に関わらせていただきました。
大変でしたが勉強になり、他病院の方とのつながりもできた有意義な会でした。

昭和42年卒業と同時に岡大病院に就職、平成18年3月にめでたく定年退職いたしました。
42年の長きにわたり鹿田地区で生活したことになります。
初々しかった10代後半からおばさんまっただ中の60代始めまで人生の大半を過ごしたことになると思うと・・・感無量!?

定年退職後すぐに岡山県看護協会の嘱託職員となり、現在は研修センターの教育担当事務をしています。よく働くものだと自他共に感心しています。
一生で看護職と事務職の2つの職種を持った気分です。どちらもそれなりにそれなりの苦労があります。
緊急を要するような仕事はないけれど、看護職だけが大変ではないということを実感しました。

ここにきてびっくりしたこと。
岡大看護学校と附属病院しか知らなかった私です。県内にまあ沢山の教育コースの異なる看護系教育機関(現在26校)と病院があることか。目からうろこでした。
様々な教育機関で教育を受けた人、様々な施設で働く人、様々なレベルでがんばっているということ。頭が下がる思いがします。

岡大の後輩達は看護協会の研修の講師となって下さっている人も多く、岡山県の看護教育の質向上に貢献されています。うれしいことです。誇りに思います。
今、外から見て思うことは、「私たちは温室育ち、つくづく穏やかで品のいい、質の高い集団だったなあ」という事です。

再就職して3年目になりますが、若い頃大病した割には元気で、今は年相応の成人病?(老年病?)の、血圧・中性脂肪を気にする日々です。ですが、行ってみたい、見てみたい、聞いてみたいの好奇心は衰えることなく、最近は海外旅行行きたい症候群となり、次はどこに行こうかと各旅行会社のパンフレットを熟読して楽しみ、パスポートが各国の出入国の印で埋まる事を願っています(押印してくれない国もありがっかりです)

同期は49名でした。同期会は毎年11月の最後の日曜日と決めています。昨年は児島、今年は11月30日、海を渡って高松で開催です。楽しみにしています。
ここ3年続けて同期生の訃報あり、3名の友人を癌で失いました。友の冥福を祈り、我が身の健康に感謝しながら集う会ともなりました。


海外からのお便りをご紹介します!

掲載日:2008-10-21 22:04:43

片岡徹也 さんのお便り(全文)

お久しぶりです。 皆様お元気でお過ごしでしょうか。
現在、青年海外協力隊でグアテマラに派遣されています片岡です。

昨日、実家の母から電話を受け、岡山大学病院の方から連絡があった旨を知りました。
復帰後の配属部署の件ですが、自分としましては馴染みの深い西2病棟、小児科を希望したいと考えております。

現在、グアテマラで活動をしていますが、活動目標の1つに地域の5歳未満児死亡率の減少があります。
それに向けて同僚達と活動をおこなっており、乳児検診の充実、母親の児の健康状態への関心と知識の向上を目的とした保健講話、地域健康ボランティアを育成する講習会などを行っております。

このような活動の経験、また海外グアテマラといった文化や風習、生活環境が大きく異なる場所で看護を行なえた経験を踏まえた上で自分が以前働かしていただいていた状況で、何を感じるのか、どのように看護を実践できるのか、大変興味があります。

また、将来的には地域看護、コミュニティヘルスの分野で進学したいとも考えています。
まだ具体的なテーマは深く考えておりませんが、ピアカウンセリング、ピアリーダーなどにも関心があり、小児科で学べることが多くあると考えています。

残りの活動の期間も半年となりましたが、このような機会を頂き、改めて岡山大学病院で働かれている皆様に感謝しています。本当にありがとうございました。復帰後は今の経験をフィードバックし、微力ではありますが岡山大学に貢献できればと考えています。

ご連絡ありがとうございました。皆様によろしくお伝えください。
遠くからではありますが、皆様のご健勝と岡山大学病院の更なる発展をお祈りしています。

追伸:昨8月に隊員活動の一環として、中南米の隊員とその同僚を対象にした広域研修を実施しました。
その際、地方紙ですが新聞に載りましたので、その記事の写真を添付しておきます。



看学39期生同窓会

掲載日:2008-9-5 19:27:02

岡山大学医学部附属看護学校第39期生 卒後20周年同窓会

岡山大学医学部附属看護学校第39期生  内田陽子

平成20年8月24日、私達39期生は、恩師である伊東先生、幡上先生、池田先生をはじめ、当時実習指導をしていただいていた日野師長をお迎えし、卒後20周年の同窓会を開催しました。この日を迎えられずに天国へ旅立たれた近藤益子先生と森下玲子さんへの黙祷の後、伊東先生の乾杯の音頭で会の幕が開きました。
当日は39期生50名中26名が集まり、気持ちは一気に20年前にタイムスリップし、大変懐かしくまた賑やかな会となりました。それぞれの近況を報告し合い、お互いに刺激を受け、また先生方からの心温まる言葉や激励をいただき、泣いて笑った2時間半でした。そして10年後の再会を約束し、明日からもまた頑張ろうと誓い合い、散会しました。
今回残念ながらご都合のつかなかった太田先生をはじめ指導者の皆様、39期生のみんな、次回は是非お会いしましょう!





編集後記
看学39期生の内田陽子さんより、先日開催された同窓会についての記事を寄せていただきました。
人生の大事な時期を一緒にすごした友人との交流は、これからも頑張っていく上で大きな励みになりますね。
ときわ会員の皆様の交流の場の一つとしてこのホームページが活用されれば、管理者一同これほど嬉しい事はありません。今後とも、皆様からの投稿をお待ちしています


太田にわ先生の近況

掲載日:2008-8-20 22:04:45

〜 太田にわ先生の近況について 〜

 2006年3月に岡山大学を退職した後、子育て支援「おかやま緊急サポートネットワーク」のサポート会員として、また、家に自作の看板「キッズガーデンおおた」とし、子ども達や親子が遊べるように工夫し、育児支援を始められています。 子どもの喜ぶ顔や興奮する顔は最高で、お金で買えない宝物をもらっているとのことです。
一方で非常勤講師として看護教育・幼児教育にも携わっておられます。
【最近のご趣味:旅行:ネパ−ル・登山:燕岳・舞踊:一葉恋歌など 】



リレーエッセイ第1弾!

掲載日:2008-7-24 21:39:58

お知らせしていたリレーエッセイの第1弾を掲載させていただきます。トップバッターをつとめてくださったのは、現在の岡山大学医学部保健学科看護学専攻の前身学校の1つである、岡山医科大学付属厚生女学部2期生の塚原恒子さんです。

岡山大学病院からのお便り

掲載日:2008-2-8 10:59:44

 2008年3月22日、同23日の2日間の病棟移転作業が終わりますと「新入院棟」が完成となります。図のように、臓器別診療体制を反映した構造であり、診療科を越えて質の高いチーム医療が実現すると期待しています。また、地下にはMEセンターやSPDセンター等があり、物の動きも現在より効率的になります。患者サービスの面では、入院/退院センターの設置や病棟クラークの配置等により、充実しつつあります。
 看護職員も5年前からICU等の重症系ベッドの増床や7:1配置基準取得により、800名を突破しました。若手のナースが多くなりましたのでその教育・訓練が課題です。「教えることの方が教えられる以上に学習になる」という言葉もあります。新しいエネルギーと共に新たな知見を積極的に取り入れながら、「岡山大学病院のナースはすごい!」と評価されるように質向上に努力したいと思います。
更に、「質」で言えば、専門看護師或いは認定看護師の資格をもつナースも個々最近増えており、フロントラインのナース達のモデルとなり、大変良い影響を与えています。専門看護師、2008年4月でCNSコース修了者も含めて5名になります。「がん」「急性重症患者看護」「慢性疾患看護」「小児看護」「精神看護」の5領域です。認定看護師にいたっては、「感染管理」「集中ケア」「糖尿病看護」「がん化学療法看護」「皮膚・排泄ケア」の5領域7名が活動しています。



坂手得二画伯「冬の朝」

掲載日:2008-1-7 14:02:00



題名:冬の朝(120号・油彩)
作者:坂手得二
この絵は、ときわ会会員の御夫君である坂手得二画伯により医療短大設立記念としてご寄贈頂いたものです。



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