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リレーエッセイ第14弾!
掲載日:2018-10-12 19:25:58
懐かしき岡大でのあの日あの頃からの今
岡山大学医学部附属看護学校 11期生 佐藤 禮子
私が岡大の看護学校に入学したのは、3つ年上の姉に「禮子おいでよ!」と誘われての事でした。特に看護には興味がなかったので葛藤の日々でしたが、唯一楽しみは臨床実習で自分の好きなことができたことだったと思います。当時の記憶はあいまいですが、はっきりと残っているのは、産科病棟実習での新生児や乳児の世話でした。休日でも新生児入浴をしたくて病棟へ行き、看護師さんと一緒に赤ちゃんに声かけをしながら手順通りに入浴させていました。今なら絶対に有り得ないことです。この経験は、自分の子供に全部生かしていました。卒業して平木内科の1年間で点滴注射の痛くない方法を身に着けて楽しみ、次の1年間は外科病棟(心臓外科)勤務。そして親友(同級生で東京勤務)に誘われ退職届を出した3月下旬、勤務中に階段の2段跳びでのアキレス腱断裂で岡大病院入院・手術・リハビリ生活の3ヶ月後に上京、慶応病院看護師生活中に米国留学、帰国後看護学校専任教員・教務主任、短大・大学教員を経て今の自分があります。長々と私事を書きましたが、それがあるから、今の語り事があると言いたいのです。
私は、本年4月開校の東京通信大学人間福祉学部人間福祉学科教授、担当は包括ケア看護学です。大学はOnline Universityとして新時代を築く大学です。懇願されての就任でしたので今さら逃げ出せない現実に追われる毎日を送っています。現在、日本の最先端教育現場といっても過言ではない所に身を置いている私。今までは全て補助者に頼っていた全てを自分でこなさなければならないことに、とまどい、悩み、何とか活路を見出そうとあがいている私です。過去の経験を生かすとすれば、それは、私の歴史としてのやる気だけしかないだろうと覚悟を決めてスタートしても、途中でしばし挫折する私です。そして、こんなあがきは私だけではないはずだから頑張らなければと立ち上がりますが・・・・・。
現在79歳、来年正月明けで80歳の私ですが、3歳年上の姉がついに現役を退き近くに引越して来ました。実にタフで元気、人の世話を今後の生き甲斐にしようとしている背中を見て、元気とやる気をもらっている腑甲斐無い妹です。こんな姉妹を人は素晴らしいと言ってくださいますが、「それは違います。明治の母のDNAです。」と答えます。パールバックの「“大地”の母です。」と言うとうなずいてくれます。その時、必ず戦後父亡き後、子供達のためにのみ生きてきた母の姿が脳裏に浮かびます。自分の人生は自分が歩いて来た道、その道筋にはいくつもの物語がある。久しぶりに人生を振り返る機会となったひとときでした。
編集後記
リレーエッセイ第14弾を引き受けて下さったのは看学11期生の佐藤禮子さんです。誰しも新しい環境に飛び込んで行く事はなかなかに勇気のいることだと思いますが、佐藤さんの文章からはむしろそれをいかに楽しむかという前向きな姿勢が伝わってきて、こちらまでワクワクしてしまいました。アキレス腱断裂という衝撃的なエピソードさえも人生のエッセンス、むしろそれも今の自分を形成している事の一つなのだという考え方が本当に素敵だなと感じました。姉妹そろってタフで元気!そんなお手本にしたい先輩方が居てくれる事は、後輩としてとても幸せな事だと改めて感じた次第です。最後になりましたが、リレーのバトンを繋げていただき、本当にありがとうございました。 広報担当 保健学科1期生 内田 可菜
岡山大学医学部附属看護学校 11期生 佐藤 禮子
私が岡大の看護学校に入学したのは、3つ年上の姉に「禮子おいでよ!」と誘われての事でした。特に看護には興味がなかったので葛藤の日々でしたが、唯一楽しみは臨床実習で自分の好きなことができたことだったと思います。当時の記憶はあいまいですが、はっきりと残っているのは、産科病棟実習での新生児や乳児の世話でした。休日でも新生児入浴をしたくて病棟へ行き、看護師さんと一緒に赤ちゃんに声かけをしながら手順通りに入浴させていました。今なら絶対に有り得ないことです。この経験は、自分の子供に全部生かしていました。卒業して平木内科の1年間で点滴注射の痛くない方法を身に着けて楽しみ、次の1年間は外科病棟(心臓外科)勤務。そして親友(同級生で東京勤務)に誘われ退職届を出した3月下旬、勤務中に階段の2段跳びでのアキレス腱断裂で岡大病院入院・手術・リハビリ生活の3ヶ月後に上京、慶応病院看護師生活中に米国留学、帰国後看護学校専任教員・教務主任、短大・大学教員を経て今の自分があります。長々と私事を書きましたが、それがあるから、今の語り事があると言いたいのです。
私は、本年4月開校の東京通信大学人間福祉学部人間福祉学科教授、担当は包括ケア看護学です。大学はOnline Universityとして新時代を築く大学です。懇願されての就任でしたので今さら逃げ出せない現実に追われる毎日を送っています。現在、日本の最先端教育現場といっても過言ではない所に身を置いている私。今までは全て補助者に頼っていた全てを自分でこなさなければならないことに、とまどい、悩み、何とか活路を見出そうとあがいている私です。過去の経験を生かすとすれば、それは、私の歴史としてのやる気だけしかないだろうと覚悟を決めてスタートしても、途中でしばし挫折する私です。そして、こんなあがきは私だけではないはずだから頑張らなければと立ち上がりますが・・・・・。
現在79歳、来年正月明けで80歳の私ですが、3歳年上の姉がついに現役を退き近くに引越して来ました。実にタフで元気、人の世話を今後の生き甲斐にしようとしている背中を見て、元気とやる気をもらっている腑甲斐無い妹です。こんな姉妹を人は素晴らしいと言ってくださいますが、「それは違います。明治の母のDNAです。」と答えます。パールバックの「“大地”の母です。」と言うとうなずいてくれます。その時、必ず戦後父亡き後、子供達のためにのみ生きてきた母の姿が脳裏に浮かびます。自分の人生は自分が歩いて来た道、その道筋にはいくつもの物語がある。久しぶりに人生を振り返る機会となったひとときでした。
編集後記
リレーエッセイ第14弾を引き受けて下さったのは看学11期生の佐藤禮子さんです。誰しも新しい環境に飛び込んで行く事はなかなかに勇気のいることだと思いますが、佐藤さんの文章からはむしろそれをいかに楽しむかという前向きな姿勢が伝わってきて、こちらまでワクワクしてしまいました。アキレス腱断裂という衝撃的なエピソードさえも人生のエッセンス、むしろそれも今の自分を形成している事の一つなのだという考え方が本当に素敵だなと感じました。姉妹そろってタフで元気!そんなお手本にしたい先輩方が居てくれる事は、後輩としてとても幸せな事だと改めて感じた次第です。最後になりましたが、リレーのバトンを繋げていただき、本当にありがとうございました。 広報担当 保健学科1期生 内田 可菜