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リレーエッセイ第5弾!
掲載日:2010-8-26 12:36:20
看護師出身の議員として24年、今期で引退します
25期生 崎本敏子
岡大看学25期生の崎本敏子です。卒業後、岡山協立病院に就職し、12年間臨床をはじめ外来、手術室、訪問看護などいろんな分野を経験しました。岡大病院しか知らなかったので、民間の地域医療の現場は驚きもいっぱいでした。
この12年間は、私の中でいまでも宝のような時間です。患者さんにとって必要なことは、不採算でもやるという信念でとりくむことを許されていました。ゆえに、看護師として必要であることの説明は尽くさなければならないので、よく医師や上司と議論をしたことを覚えています。そういう環境にずいぶん育ててもらったと感じています。
私は看護師という仕事が好きでした。「看護師は専門職だ」という母校の教えが根底にありました。やりがいと生きがいを感じ、看護教員養成講習にも行かせていただき、後輩の指導にもかかわっていました。
そんな時、市議会議員への立候補の要請があり、悩んだ末に挑戦を決意したのです。そのときの葛藤は今思い出しても大変なものでしたが、当時女性が市議会にたった3人と少なく、それを減らすわけにはいかないと思いました。また、私は32歳で3人の子育てや義父の介護をしていた頃で、同じような立場の人の声は市議会に必要だと開き直り、再度の要請にこたえることにしたのです。看護師であることは必ず活かせると思いました。看護師は毎日患者さんの声を聴き、様々な苦しみを知っているのですから・・・。その後、わたしの政治信条は「いのちは何より大切」と決めました。
岡山市議会議員となってはや6期目で、今年で24年目となります。同窓会の皆様には、ご支援やご指導をいただき、心から感謝しております。
振り返れば、いのちにこだわる看護師出身の議員として、様々な仕組みづくりにかかわってきました。介護保険制度の市独自の取り組み、国民健康保険制度の改善、救急車の適正配置、男女共同参画の施策推進、子育て支援、食育、・・・そして今、「がん対策推進条例」を政令市としてはじめて議員提案で策定しようと取り組んでいます。何とかやり遂げたいと思います。
実は私は、今期限りで議員を引退することを決意しました。ご支援いただいた皆様にあらためて感謝を申し上げます。ありがとうございました。
昨年暮れに、がんが見つかり、1月末に手術を受けました。ちょうど義母の在宅緩和ケアをしている最中でした。手術後快方に向かっているものの、体力的不安は払拭できません。熟慮した結果、いい後継者を得ることもでき、今回の決意にいたりました。
義母は4月に看取りました。私が付き添えるようになるのを待っていたように、わたしが付き添っていた夜に亡くなりました。子や孫、ひ孫に見守られて・・・。
この介護体験と患者体験は私にとって貴重なもので、きっと今後の人生に役立つと考えています。
健康回復をした後は、地域での市民活動や看護教育などに微力を尽くしたい・・・と考えています。
私は絵本を読み聞かせする地域文庫の活動ボランティアを10年続けています。趣味の民謡も再開し、楽しい愛媛県人会にも参加していきたい。人とのご縁を大切にしたいですね。
25期生は、昨年11月に同窓会をしました。友人たちとの時間は本当に楽しかったです。これから会う機会を増やしたいですね。
人生に無駄なことはないと思います。これからも前向きに、少しやりたいことを優先にしながらも最後まで「人の役に立ついのちでありたい」と願っています。
広報より
第4弾の持田様からのバトンを受けて頂いたのは、25期生の崎本様です。この文章を読むと、自分ができる事は何か?やるべき事は何か?やりたい事は何か?そういった様々な葛藤を抱えながらも、一人の人間として、自身の信念の元に行動する崎本さんの姿が目に浮かぶようです。自身の経験を、これからの人生だけでなく、次の世代にも活かしていこうとしてくださっている崎本さんの熱い思いに触れて、私も元気をもらったように思います。
母校の先輩は人生の先輩でもあります。願わくばときわ会の存在が、両者の交流を後押しする場になれたらこれ程嬉しい事はありません。
末筆になりましたが、崎本さまにはこの場を借りて御礼申し上げると同時に、これから待っている沢山のやりたい事を存分に満喫できるよう願っております。本当にありがとうございました。
25期生 崎本敏子
岡大看学25期生の崎本敏子です。卒業後、岡山協立病院に就職し、12年間臨床をはじめ外来、手術室、訪問看護などいろんな分野を経験しました。岡大病院しか知らなかったので、民間の地域医療の現場は驚きもいっぱいでした。
この12年間は、私の中でいまでも宝のような時間です。患者さんにとって必要なことは、不採算でもやるという信念でとりくむことを許されていました。ゆえに、看護師として必要であることの説明は尽くさなければならないので、よく医師や上司と議論をしたことを覚えています。そういう環境にずいぶん育ててもらったと感じています。
私は看護師という仕事が好きでした。「看護師は専門職だ」という母校の教えが根底にありました。やりがいと生きがいを感じ、看護教員養成講習にも行かせていただき、後輩の指導にもかかわっていました。
そんな時、市議会議員への立候補の要請があり、悩んだ末に挑戦を決意したのです。そのときの葛藤は今思い出しても大変なものでしたが、当時女性が市議会にたった3人と少なく、それを減らすわけにはいかないと思いました。また、私は32歳で3人の子育てや義父の介護をしていた頃で、同じような立場の人の声は市議会に必要だと開き直り、再度の要請にこたえることにしたのです。看護師であることは必ず活かせると思いました。看護師は毎日患者さんの声を聴き、様々な苦しみを知っているのですから・・・。その後、わたしの政治信条は「いのちは何より大切」と決めました。
岡山市議会議員となってはや6期目で、今年で24年目となります。同窓会の皆様には、ご支援やご指導をいただき、心から感謝しております。
振り返れば、いのちにこだわる看護師出身の議員として、様々な仕組みづくりにかかわってきました。介護保険制度の市独自の取り組み、国民健康保険制度の改善、救急車の適正配置、男女共同参画の施策推進、子育て支援、食育、・・・そして今、「がん対策推進条例」を政令市としてはじめて議員提案で策定しようと取り組んでいます。何とかやり遂げたいと思います。
実は私は、今期限りで議員を引退することを決意しました。ご支援いただいた皆様にあらためて感謝を申し上げます。ありがとうございました。
昨年暮れに、がんが見つかり、1月末に手術を受けました。ちょうど義母の在宅緩和ケアをしている最中でした。手術後快方に向かっているものの、体力的不安は払拭できません。熟慮した結果、いい後継者を得ることもでき、今回の決意にいたりました。
義母は4月に看取りました。私が付き添えるようになるのを待っていたように、わたしが付き添っていた夜に亡くなりました。子や孫、ひ孫に見守られて・・・。
この介護体験と患者体験は私にとって貴重なもので、きっと今後の人生に役立つと考えています。
健康回復をした後は、地域での市民活動や看護教育などに微力を尽くしたい・・・と考えています。
私は絵本を読み聞かせする地域文庫の活動ボランティアを10年続けています。趣味の民謡も再開し、楽しい愛媛県人会にも参加していきたい。人とのご縁を大切にしたいですね。
25期生は、昨年11月に同窓会をしました。友人たちとの時間は本当に楽しかったです。これから会う機会を増やしたいですね。
人生に無駄なことはないと思います。これからも前向きに、少しやりたいことを優先にしながらも最後まで「人の役に立ついのちでありたい」と願っています。
広報より
第4弾の持田様からのバトンを受けて頂いたのは、25期生の崎本様です。この文章を読むと、自分ができる事は何か?やるべき事は何か?やりたい事は何か?そういった様々な葛藤を抱えながらも、一人の人間として、自身の信念の元に行動する崎本さんの姿が目に浮かぶようです。自身の経験を、これからの人生だけでなく、次の世代にも活かしていこうとしてくださっている崎本さんの熱い思いに触れて、私も元気をもらったように思います。
母校の先輩は人生の先輩でもあります。願わくばときわ会の存在が、両者の交流を後押しする場になれたらこれ程嬉しい事はありません。
末筆になりましたが、崎本さまにはこの場を借りて御礼申し上げると同時に、これから待っている沢山のやりたい事を存分に満喫できるよう願っております。本当にありがとうございました。