現在地:ときわ会トップ > ときわ会広場
リレーエッセイ第11弾!
掲載日:2017-4-15 9:21:59
「学ぶ」原点は岡大看護学校にあり!!
岡山大学医学部附属看護学校 第18期生 赤井 そのゑ(旧姓 杉山)
同期の山上富代さんより、リレーエッセイのバトンを受け取りました。私たちが看護学校1年生の時、NHKの朝ドラで「おはなはん」が放映されていました。学生寮でギリギリまでドラマをみて、グランドを一気に走り抜けてピンク色の校舎に通った事、いつも阿部先生や酒井先生に通学路を歩くように注意された事が懐かしく思い出されます。真面目で優秀な学生ではなかったと反省しきりですが、岡大の自由でのびのびした雰囲気が大好きでした。あれから50年、ついに70代に突入しました。人生とはかくも早く通り過ぎて行くものなのか、瞬き一つの歳月だったと感じています。
看護学校での臨床実習は実に楽しくて、どの病棟にも目標にできる素晴らしい指導者の皆様がいて、先輩が後輩を鍛え育てる校風が自然にあったと思います。私も、看護学校卒業後は附属病院に残って先輩ナースのようになりたいと思っていました。
学生時代の産科実習で初めて出会った出産は死産でした。五体満足に産まれてくるが当たり前と思っていた私にとって衝撃的な体験でした。母子二つの命を援助する助産師の仕事に魅力を感じて助産師学校に進学し、岡大病院の産科病棟に5年余り勤務した後、夫の東京本社勤務のため岡大病院を去ることになった時は本当に悲しかったです。
その後6年間の専業主婦をした後、都立看護学校の非常勤講師を経て、36歳で地元(千葉県船橋市)の看護学校の教員になりました。6年間のブランクを乗り越えての再就職、何もかも別世界で自分の遅れを嫌と言うほど痛感しました。教員をしていて一番困ったことは、「看護過程の展開」ということでした。千葉大学看護学部の薄井坦子教授のゼミに参加して、一から学びました。「看護的なアセスメント能力」とは、エビデンスに裏付けされた看護実践とは何かなど学ぶことが山のように押し寄せてきました。それを解く手掛かりとなったのが、看護学校時代に学んだ長島先生の「看護生理学」、外科学の佐野先生の授業内容や「心臓手術」「脳外科手術」などのOP見学を通しての学習で、岡大看護学校の基礎看護教育の素晴らしさに気づかされました。現在、岡大では肺移植や心臓移植など最先端の医療がされていますが、その最先端医療を陰で支えているのは、質の高い看護力だと思っています。
私は、実習病院の卒後教育に15年間関わったり、厚生労働省の「幹部教員研修」修了後、「千葉県看護教員研修」の講師を経験しながら、看護専門学校教員26年、大学看護学科講師を3年間勤めましたが、リウマチを悪化させて65歳で退職しました。退職後、脳のリハビリだと思い東洋大学大学院社会学研究科に入学し、若者の結婚意識についての修士論文をまとめてこの3月に博士前期課程を修了しました。「学び」は、自分を新しく作り変えてくれます。「学ぶ」ことの原点は、岡大看護学校の校風の中で培われたものだと本当に感謝しております。今後も、ときわ会がますます発展されますようにと心から祈念しております。
編集後記
リレーエッセイ第11弾のお届けです。私は実家が岡山なので寮に入る事はありませんでしたが、友人達が話す寮生活が本当に楽しそうで羨ましかったのを覚えています。
それにしてもブランクを経ての復帰は言葉に尽くしがたいほどの苦労があったのだろうと思います。それでもそうやってブランクを乗り越えて働く先輩が居てくれる事こそが、同じように復帰に悩む後輩が一歩を踏み出すきっかけになるのだと思います。私もそんな後輩の後押しができるよう、まずは一歩踏み出して行きたいものです。
最後になりましたが、バトンを受けてくださった赤井様、本当にありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。
岡山大学医学部附属看護学校 第18期生 赤井 そのゑ(旧姓 杉山)
同期の山上富代さんより、リレーエッセイのバトンを受け取りました。私たちが看護学校1年生の時、NHKの朝ドラで「おはなはん」が放映されていました。学生寮でギリギリまでドラマをみて、グランドを一気に走り抜けてピンク色の校舎に通った事、いつも阿部先生や酒井先生に通学路を歩くように注意された事が懐かしく思い出されます。真面目で優秀な学生ではなかったと反省しきりですが、岡大の自由でのびのびした雰囲気が大好きでした。あれから50年、ついに70代に突入しました。人生とはかくも早く通り過ぎて行くものなのか、瞬き一つの歳月だったと感じています。
看護学校での臨床実習は実に楽しくて、どの病棟にも目標にできる素晴らしい指導者の皆様がいて、先輩が後輩を鍛え育てる校風が自然にあったと思います。私も、看護学校卒業後は附属病院に残って先輩ナースのようになりたいと思っていました。
学生時代の産科実習で初めて出会った出産は死産でした。五体満足に産まれてくるが当たり前と思っていた私にとって衝撃的な体験でした。母子二つの命を援助する助産師の仕事に魅力を感じて助産師学校に進学し、岡大病院の産科病棟に5年余り勤務した後、夫の東京本社勤務のため岡大病院を去ることになった時は本当に悲しかったです。
その後6年間の専業主婦をした後、都立看護学校の非常勤講師を経て、36歳で地元(千葉県船橋市)の看護学校の教員になりました。6年間のブランクを乗り越えての再就職、何もかも別世界で自分の遅れを嫌と言うほど痛感しました。教員をしていて一番困ったことは、「看護過程の展開」ということでした。千葉大学看護学部の薄井坦子教授のゼミに参加して、一から学びました。「看護的なアセスメント能力」とは、エビデンスに裏付けされた看護実践とは何かなど学ぶことが山のように押し寄せてきました。それを解く手掛かりとなったのが、看護学校時代に学んだ長島先生の「看護生理学」、外科学の佐野先生の授業内容や「心臓手術」「脳外科手術」などのOP見学を通しての学習で、岡大看護学校の基礎看護教育の素晴らしさに気づかされました。現在、岡大では肺移植や心臓移植など最先端の医療がされていますが、その最先端医療を陰で支えているのは、質の高い看護力だと思っています。
私は、実習病院の卒後教育に15年間関わったり、厚生労働省の「幹部教員研修」修了後、「千葉県看護教員研修」の講師を経験しながら、看護専門学校教員26年、大学看護学科講師を3年間勤めましたが、リウマチを悪化させて65歳で退職しました。退職後、脳のリハビリだと思い東洋大学大学院社会学研究科に入学し、若者の結婚意識についての修士論文をまとめてこの3月に博士前期課程を修了しました。「学び」は、自分を新しく作り変えてくれます。「学ぶ」ことの原点は、岡大看護学校の校風の中で培われたものだと本当に感謝しております。今後も、ときわ会がますます発展されますようにと心から祈念しております。
編集後記
リレーエッセイ第11弾のお届けです。私は実家が岡山なので寮に入る事はありませんでしたが、友人達が話す寮生活が本当に楽しそうで羨ましかったのを覚えています。
それにしてもブランクを経ての復帰は言葉に尽くしがたいほどの苦労があったのだろうと思います。それでもそうやってブランクを乗り越えて働く先輩が居てくれる事こそが、同じように復帰に悩む後輩が一歩を踏み出すきっかけになるのだと思います。私もそんな後輩の後押しができるよう、まずは一歩踏み出して行きたいものです。
最後になりましたが、バトンを受けてくださった赤井様、本当にありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。