現在地:ときわ会トップ > ときわ会広場

リレーエッセイ第16弾!

掲載日:2019-8-10 10:27:08

             保健婦として38年
                           看学13期生 筒井 洋子

1960年(昭和35年)に入学した時は、60年安保で、学生集会が開かれるなど、社会の大きな変化の時代でした。担任は阿部壽満子先生でした。先生の看護の発展への熱い思いを、同期会で、伺っていました。
私は予防医学研究会に参加して、夏休みに地域医療の現場で学ぶ機会を得て、保健婦として働くことにしました。

1964年(昭和39年)東京オリンピックの年に、高知県の保健所に就職しました。担当地区は、山村でした。業務は、無医地区診療母子保健事業・成人検診・予防接種・胃がん検診等でした。家庭訪問は担当地区が広いので、公用バイクを使用していました。

翌年、高知市役所に職場を変わりました。市の保健婦は10名でした。当時は、母子保健と結核・感染症対策が重点業務でした。結核患者さんは、入院、通院共に多く、レントゲン検診車もきめ細かく巡回していました。保健婦は地域を分担して、本庁と支所で勤務していました。保健婦のまとめ役を作るように要望を出して、係長が出来ました。

そのことが高知新聞で報道されると、多くの市民に保健婦を知って貰う良い機会になりました。女性登用など考えられなかった半世紀前のことです。昭和50年代からは、健康都市づくりが市の重点施策に掲げられ、保健活動の拠点として保健婦センターが開設されました。市民の心身の健康づくり事業は、誕生日記念検診・健康まつり・健康大学等のイベントも行いましたが、市民が心身の健康の問題を相談出来る場所として、保健婦センターを知ってくれたことです。30万市民の健康を守るには市民が困った時に対応することが必要です。

市街地で地域社会の人の繋がりが希薄になり、単身者とか高齢者等、健康に問題を抱える市民にタイムリーに支援することは、大切です。保健婦センターは、心身の健康に問題を持つ市民に対応することが多くありました。

その後、保健センターに引き継がれて、市民対応は続いています。高知市の保健婦は、保育所・職員課・介護保険・高齢者医療・福祉等の部署でも働いています。1998年(平成10年)、市は中核市となり、市保健所が開設されました。



編集後記
今回リレーエッセイのバトンを受けて下さったのは、看学13期生の筒井洋子様です。
いまでこそ保健師という名称だけでなくその活動内容も周知され、活動範囲も広がっている職種ではありますが、そこに至るまでの経緯や関わった方の努力や葛藤を思うと、日々の中でその恩恵を受ける身として本当にありがたい限りです。

ネット社会でもある現代において、電子世界で交わされる情報をいち早く得て活用する事も勿論有用で大切な事だとは思いますが、必ずしも正しい情報ばかりとは言えませんし、誰もがそれを享受できる状況かと問われれば首をかしげざるを得ません。そんな現状であるからこそ、心身に問題を抱えた時、身近な場所に相談できる場所が当たり前のように存在する事を嬉しく思います。筒井様、リレーエッセイへの寄稿ありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。        
                広報担当 保健学科1期生 内田可菜
  

ときわ会広場一覧へ




ページの先頭へ


ときわ会広場

ときわ会トップへもどる