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リレーエッセイ第6弾!
掲載日:2014-12-1 21:28:45
今更ですが先生方に感謝の気持ちを伝えたい
岡山大学医学部附属看護学校 33期生 亀岡智美
岡大看学33期生の亀岡智美です。25期生の崎本敏子さんからリレーエッセイのバトンを受け取りました。
私は、現在、東京都清瀬市にある国立看護大学校で教員をしています。国立看護大学校は、2001年に厚生労働省が設置し、2010年からは独立行政法人国立国際医療研究センターの一組織になりました。
私は、開学の年に着任しました。大学の学部に相当する4年間の教育を行い、学生は卒業時に看護師国家試験受験資格とともに、学位授与機構(現在の大学評価・学位授与機構)から学士(看護学)の学位を取得できます。大学院修士課程に相当する教育を行う研究課程部、看護継続教育を行う研修部もあります。
先日、国立看護大学校1期生の卒後10周年の同窓会がありました。1期生は、学校にとって初めての学生であり、教育活動はスタートしたものの決まってないことも多く、教員たちにとっても手探りのところが多々ありました。しかも、私は教員1年生でした。1期生に対し、生まれて初めての「看護過程の授業」や「基礎看護技術の授業」、「基礎看護学実習の要項作り」等を行ってはみたものの、「何か重要なことを学生たちに教え忘れてはいないか」が常に気になっていました。
1期生の卒業後もそんな気持がずっと続いていた私は、久しぶりに卒業生に会えるのを楽しみに、心の隅に成績判定を受けるような気持ちも持って、同窓会会場である都心のホテルに向かいました。
国立看護大学校は1学年100名定員です。同窓会には、1期生の約半数が、文字通り、北は北海道から南は九州まで、全国各地から集まっていました。学生時代の面影を残しながらも、誰もが「しっかりした大人の顔」になっていました。また、皆、看護師の仕事を続けており、その様子を活き活きと話してくれました。
卒業生からもらった私の成績は「合格」でした。学生や卒業生の成長は、多くの教員が力を合わせてのことですし、何よりも学生や卒業生たち自身の努力の賜物です。けれども、頼もしく成長した1期生たちの教育に教員として関われたことをとても嬉しく誇らしく思いました。
岡大看学33期生も、今年6月に年1回の定例同窓会がありました。私は、予定が合わず参加できませんでしたが、日頃から連絡を取り合っている同級生から、その時の様子を聞きました。また、8月の帰岡時に同級生に声をかけたら、10名ほどが集まってくれ、話に花が咲きました。
33期生も気づけば卒業後31年です。卒業式の時だったか、「定年退職まで岡大病院に勤める」と宣言した同級生の一人に、他の多くの同級生が驚異と感嘆の眼差しを注いだことが記憶に残っています。当時、私を含め、ほとんどの同級生は、「看護師を一生の仕事にする」というような気負いはなかったように思います。
しかし、31年経った現在も、同級生のほとんどが看護職として第一線で働き続けています。卒業以来、岡大病院に勤め続けている人もいれば、故郷や嫁ぎ先の近くの病院に勤めている人もいます。訪問看護ステーションを開業した人、助産師のグループを組織して独自の産前産後ケアや性教育を展開している人、保健師や養護教諭として働き続けている人など、活動のしかたは様々です。
同級生のほとんどが、岡大病院ではないにしても、それぞれのあり方で定年退職まで看護職を続けそうですし、定年退職後もそれまでの経験を活かして活動しそうな勢いです。ですから、私達を育てて下さった先生方の成績は、文句なしに「花丸合格」です。
学生時代のことを思い返すと、穴があったら入りたいようなことばかりです。31年経った今、ようやく、「あの日があったから今日がある」と思えます。今更ながらですが、この場をお借りして、当時お世話になった先生方に心よりお礼を申し上げます。
31年間、看護職として仕事を続けてきたからこそわかるようになったこととがあります。できるようになったことも増えました。職業生活を通して、これからも自分自身を育てて行くとともに、私自身がわかるようになったこと、できるようになったことを後輩たちにしっかりと伝えていかなければと思います。私達を育てて下さった先生方のように、学生たちの将来から「花丸合格」をもらえる日をめざして。
〜編集後記〜
広報担当の無精からすっかり途絶えさせてしまっていたリレーエッセイのバトンを、保科会長のご尽力により33期生の亀岡智美さんが拾い上げて繋げてくださることになりました。
折角の企画を放置していた事を会員の皆様にお詫び申し上げると共に、リレーエッセイの復活に御尽力頂いた両名に心から感謝いたします。
次回、亀岡さんの次のバトンは、同じ33期生の森安浩子さん(三豊総合病院看護部長)が引き受けてくださいました。香川県から発信をしてくださるそうですので、どうぞご期待ください!
岡山大学医学部附属看護学校 33期生 亀岡智美
岡大看学33期生の亀岡智美です。25期生の崎本敏子さんからリレーエッセイのバトンを受け取りました。
私は、現在、東京都清瀬市にある国立看護大学校で教員をしています。国立看護大学校は、2001年に厚生労働省が設置し、2010年からは独立行政法人国立国際医療研究センターの一組織になりました。
私は、開学の年に着任しました。大学の学部に相当する4年間の教育を行い、学生は卒業時に看護師国家試験受験資格とともに、学位授与機構(現在の大学評価・学位授与機構)から学士(看護学)の学位を取得できます。大学院修士課程に相当する教育を行う研究課程部、看護継続教育を行う研修部もあります。
先日、国立看護大学校1期生の卒後10周年の同窓会がありました。1期生は、学校にとって初めての学生であり、教育活動はスタートしたものの決まってないことも多く、教員たちにとっても手探りのところが多々ありました。しかも、私は教員1年生でした。1期生に対し、生まれて初めての「看護過程の授業」や「基礎看護技術の授業」、「基礎看護学実習の要項作り」等を行ってはみたものの、「何か重要なことを学生たちに教え忘れてはいないか」が常に気になっていました。
1期生の卒業後もそんな気持がずっと続いていた私は、久しぶりに卒業生に会えるのを楽しみに、心の隅に成績判定を受けるような気持ちも持って、同窓会会場である都心のホテルに向かいました。
国立看護大学校は1学年100名定員です。同窓会には、1期生の約半数が、文字通り、北は北海道から南は九州まで、全国各地から集まっていました。学生時代の面影を残しながらも、誰もが「しっかりした大人の顔」になっていました。また、皆、看護師の仕事を続けており、その様子を活き活きと話してくれました。
卒業生からもらった私の成績は「合格」でした。学生や卒業生の成長は、多くの教員が力を合わせてのことですし、何よりも学生や卒業生たち自身の努力の賜物です。けれども、頼もしく成長した1期生たちの教育に教員として関われたことをとても嬉しく誇らしく思いました。
岡大看学33期生も、今年6月に年1回の定例同窓会がありました。私は、予定が合わず参加できませんでしたが、日頃から連絡を取り合っている同級生から、その時の様子を聞きました。また、8月の帰岡時に同級生に声をかけたら、10名ほどが集まってくれ、話に花が咲きました。
33期生も気づけば卒業後31年です。卒業式の時だったか、「定年退職まで岡大病院に勤める」と宣言した同級生の一人に、他の多くの同級生が驚異と感嘆の眼差しを注いだことが記憶に残っています。当時、私を含め、ほとんどの同級生は、「看護師を一生の仕事にする」というような気負いはなかったように思います。
しかし、31年経った現在も、同級生のほとんどが看護職として第一線で働き続けています。卒業以来、岡大病院に勤め続けている人もいれば、故郷や嫁ぎ先の近くの病院に勤めている人もいます。訪問看護ステーションを開業した人、助産師のグループを組織して独自の産前産後ケアや性教育を展開している人、保健師や養護教諭として働き続けている人など、活動のしかたは様々です。
同級生のほとんどが、岡大病院ではないにしても、それぞれのあり方で定年退職まで看護職を続けそうですし、定年退職後もそれまでの経験を活かして活動しそうな勢いです。ですから、私達を育てて下さった先生方の成績は、文句なしに「花丸合格」です。
学生時代のことを思い返すと、穴があったら入りたいようなことばかりです。31年経った今、ようやく、「あの日があったから今日がある」と思えます。今更ながらですが、この場をお借りして、当時お世話になった先生方に心よりお礼を申し上げます。
31年間、看護職として仕事を続けてきたからこそわかるようになったこととがあります。できるようになったことも増えました。職業生活を通して、これからも自分自身を育てて行くとともに、私自身がわかるようになったこと、できるようになったことを後輩たちにしっかりと伝えていかなければと思います。私達を育てて下さった先生方のように、学生たちの将来から「花丸合格」をもらえる日をめざして。
〜編集後記〜
広報担当の無精からすっかり途絶えさせてしまっていたリレーエッセイのバトンを、保科会長のご尽力により33期生の亀岡智美さんが拾い上げて繋げてくださることになりました。
折角の企画を放置していた事を会員の皆様にお詫び申し上げると共に、リレーエッセイの復活に御尽力頂いた両名に心から感謝いたします。
次回、亀岡さんの次のバトンは、同じ33期生の森安浩子さん(三豊総合病院看護部長)が引き受けてくださいました。香川県から発信をしてくださるそうですので、どうぞご期待ください!