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リレーエッセイ第13弾!
掲載日:2017-11-23 0:24:16
キャリア人生の総決算を岡大看護師時代に戻って
岡山大学医学部附属看護学校 9期生 小島 操子
第17回ときわ会総会の会場で、保科会長様より赤井そのゑ様のご紹介という事でご依頼があり、奇遇を感じながらハビブ文妙子様より、リレーエッセイのバトンを受け取りました。
私は岡大看学9期生で、大学病院で11年間の臨床経験の後、看護が進展する流れの中で5つの大学で教育・管理の経験を積み、本年3月に退職しました。
ハビブ文妙子さんとは、私が住所を転々とする中で連絡がとだえていました。文妙子さんは、留学後私を訪ねて下さり、目を輝かせて色々な事を一生懸命にきいて下さった事が忘れられません。その後、アメリカに留学され素敵な方に出会い、真剣に悩み苦しみ、いろいろ考えぬかれて決心を固められたお姿が目にやきついています。また、その事をお伝えした時のお母様の淋しさを超越した毅然とした優しさのこもった御様子はいつも心に残っていました。この度のリレーエッセイを読ませていただいて、御苦労も多かった事と思いますが、文妙子さんらしく、一生懸命、真摯に素晴らしい人生を歩まれたご様子がうかがえ、最高のプレゼントをいただいた気が致しました。そして、お母様もさぞ喜ばれ御満足でしたでしょうと心からうれしく思いました。
私は、長かったキャリア人生に終止符をうち、現在、大学の筋向いにあるホスピスでボランティアをしながら、岡山時代を思い出し充実した日々を送っています。私のキャリア人生については、ときわ会会誌の14号に“卒業後50年を振り返って”にくわしく書かせていただきましたが、留学後4〜5年たって、岡山をはなれ看護教員としていくつかの大学を移動したのは、看護に対する社会の要請の中で、看護が学問的、専門職業的に発展するためという大義名分に動かされての事でした。幸い、それぞれの大学で、看護が飛躍するための新しい試み等への挑戦ができ、仲間達と有意義な日々をすごせた事は非常に幸せな事でした。
4か所目の移動で大阪府立看護大学に赴任が決まった時点で、任期が満了したら、今度は、日本初のホスピスに隣接した聖隷クリストファー大学で、ボランティアをしながらがん看護専門看護師教育にじっくり取り組ませてもらいたいと考えていました。聖路加の日野原重明先生のご推薦状で実現しましたが、2年後に学長になり、10年が過ぎてしまいました。しかし、この10年間に多くの方々に助けられ、学長として、また教授として多くのことができ、満足して終わることができました。
現在、大学で専門看護師教育の仕上げを少しと、念願かなったホスピスで週3回ボランティアをしながら、昔とったきねづかで楽しく過ごしています。私のキャリア人生の総決算は、初心に戻って、臨床でと考えていましたので幸せです。私が看護の道をひたすら歩めた事は、岡山大学病院で、すばらしい先輩たちに恵まれ、きびしくも優しく、大切に育てていただいたおかげと心から感謝しております。ありがとうございました。
編集後記
第13弾のバトンを受けて下さったのは、看学9期生の小島 操子さんです。ときわ会誌に掲載されている文章にもこちらの文章にも、周囲の人々への感謝の言葉が多く綴られているのがとても印象的でした。生きていく上で周囲の人々に恵まれる事はとてつもない僥倖ですが、逆にその事にきちんと感謝し、自身も真摯に向き合う事の出来る人だからこそ、周囲に恵まれるのではなかろうかと気が付かされました。ライフワークであるがん看護への取り組みに対する熱量に、自然と背筋が伸びる思いです。
末筆になりましたが、リレーエッセイのバトンを快く受けて頂き、本当にありがとうございました。
岡山大学医学部附属看護学校 9期生 小島 操子
第17回ときわ会総会の会場で、保科会長様より赤井そのゑ様のご紹介という事でご依頼があり、奇遇を感じながらハビブ文妙子様より、リレーエッセイのバトンを受け取りました。
私は岡大看学9期生で、大学病院で11年間の臨床経験の後、看護が進展する流れの中で5つの大学で教育・管理の経験を積み、本年3月に退職しました。
ハビブ文妙子さんとは、私が住所を転々とする中で連絡がとだえていました。文妙子さんは、留学後私を訪ねて下さり、目を輝かせて色々な事を一生懸命にきいて下さった事が忘れられません。その後、アメリカに留学され素敵な方に出会い、真剣に悩み苦しみ、いろいろ考えぬかれて決心を固められたお姿が目にやきついています。また、その事をお伝えした時のお母様の淋しさを超越した毅然とした優しさのこもった御様子はいつも心に残っていました。この度のリレーエッセイを読ませていただいて、御苦労も多かった事と思いますが、文妙子さんらしく、一生懸命、真摯に素晴らしい人生を歩まれたご様子がうかがえ、最高のプレゼントをいただいた気が致しました。そして、お母様もさぞ喜ばれ御満足でしたでしょうと心からうれしく思いました。
私は、長かったキャリア人生に終止符をうち、現在、大学の筋向いにあるホスピスでボランティアをしながら、岡山時代を思い出し充実した日々を送っています。私のキャリア人生については、ときわ会会誌の14号に“卒業後50年を振り返って”にくわしく書かせていただきましたが、留学後4〜5年たって、岡山をはなれ看護教員としていくつかの大学を移動したのは、看護に対する社会の要請の中で、看護が学問的、専門職業的に発展するためという大義名分に動かされての事でした。幸い、それぞれの大学で、看護が飛躍するための新しい試み等への挑戦ができ、仲間達と有意義な日々をすごせた事は非常に幸せな事でした。
4か所目の移動で大阪府立看護大学に赴任が決まった時点で、任期が満了したら、今度は、日本初のホスピスに隣接した聖隷クリストファー大学で、ボランティアをしながらがん看護専門看護師教育にじっくり取り組ませてもらいたいと考えていました。聖路加の日野原重明先生のご推薦状で実現しましたが、2年後に学長になり、10年が過ぎてしまいました。しかし、この10年間に多くの方々に助けられ、学長として、また教授として多くのことができ、満足して終わることができました。
現在、大学で専門看護師教育の仕上げを少しと、念願かなったホスピスで週3回ボランティアをしながら、昔とったきねづかで楽しく過ごしています。私のキャリア人生の総決算は、初心に戻って、臨床でと考えていましたので幸せです。私が看護の道をひたすら歩めた事は、岡山大学病院で、すばらしい先輩たちに恵まれ、きびしくも優しく、大切に育てていただいたおかげと心から感謝しております。ありがとうございました。
編集後記
第13弾のバトンを受けて下さったのは、看学9期生の小島 操子さんです。ときわ会誌に掲載されている文章にもこちらの文章にも、周囲の人々への感謝の言葉が多く綴られているのがとても印象的でした。生きていく上で周囲の人々に恵まれる事はとてつもない僥倖ですが、逆にその事にきちんと感謝し、自身も真摯に向き合う事の出来る人だからこそ、周囲に恵まれるのではなかろうかと気が付かされました。ライフワークであるがん看護への取り組みに対する熱量に、自然と背筋が伸びる思いです。
末筆になりましたが、リレーエッセイのバトンを快く受けて頂き、本当にありがとうございました。